令和の時代を過ごしている現在のほんの20〜30年前のこと、平成という新しい空気感を持った時代の中にあったバスたちを振り返るこの企画、今回は車両面でも変革期であった羽後交通を紹介しよう。
秋田県県南地域を広くカバーする羽後交通は、秋田県最大規模のバス事業者である。エリア内には、幹線、地方ローカル線、観光路線など様々な性格の路線が存在し、それだけに車両のバリエーションも豊かである。
執筆/写真:石鎚 翼
※2021年1月発売「バスマガジンVol.105」より
【画像ギャラリー】“平成の大変革”を迎えた頃の羽後交通のバスたち
古参車取替のため多くの中古車を導入し、車両体質を改善
平成期に入ると、老朽車両取り替えのため、各地から多くの中古バスが転入し、さらにバラエティに富むようになった当時の羽後交通は、県内に横手、湯沢、大曲、境、角館、田沢湖、本荘、象潟、矢島に拠点を持ち、国内4メーカーのバスを採用していた。
一般路線バスにも県都秋田や拠点間を結ぶ急行バスや田沢湖周辺の観光路線など、様々な性格の路線が存在していた。
これらに加えて、1989(平成元)年に横浜、92(平成4)年には東京への夜行高速バスに、93(平成5)年には仙台への高速バスにも参入した。さらに秋田自動車道の延伸開業によって湯沢・秋田間の県内高速バスも91(平成3)年に運行を開始した。
これらは一連の高速バスブームに乗ったもので、長距離夜行バスにはサロンルームを有するボルボ製スーパーハイデッカ車が用意されるなど、非常に力を入れたものとなった。
一方、一般路線バスは乗客の逸走傾向は変わらず、車両の代替は多くを中古バスに依存することとなり、一般路線バス用の自社発注は中小型バスに限られた。91(平成3)年から主に関東各地の事業者から多くの路線バス用車両が転入し、特に中型中古バスは好んで導入した。
導入初年は川崎鶴見臨港バス、小田急バス、千葉中央バスの車両が転入し、中ドアを締切扱いとして乗降は前ドアのみで取り扱った。
平成年間に4分の1の人口が減少するなど極めて厳しい環境となった
中古バスの導入も国内4メーカーを採用したことから一層車両陣容が豊かになっていった。その後は出元も関西に広がり、特に大型一般路線車は次第に中古バスで占められるようになっていった。
かつて貸切格下げのトップドア車などで運用されていた急行バス系統にも、中古2ドア車が投入されるケースも見られたが、老朽化した標準床・非冷房車が淘汰され、低床化・冷房化が格段に進み、サービス改善にも寄与したと言えよう。
その後の平成年間において、羽後交通もやはり地方営業所の統合や路線廃止による合理化が進められた。花形だった東京・横浜線高速バスは首都圏側事業者の撤退・変更なども行われたが現在も2路線が健在である。
ただし車両は外国製スーパーハイデッカ車から、国産ハイデッカ車に置き換えられた。一般路線はそれでもなお多くの地方路線が維持されており、中古車導入によるコストダウン策も一定の効果を上げたはずだ。
秋田県は人口減少に歯止めがかからず、羽後交通の事業エリアでは最大の都市である湯沢市は1990(平成2)年から2015(平成27)年までの平成年間に、実に4分の1の人口が減少するなど、極めて厳しい環境にある。
この傾向が大きく改善することは期待できないものの、豪雪地帯の欠かせない市民の足であり、走り続けてくれることを期待したい。
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