本稿を書いているのは2021年4月7日。2日後に発売する「別冊少年マガジン」5月号で、いよいよ『進撃の巨人』の物語は終わりを告げる。2009年の連載開始以来、国内外を問わず多くの人を魅了しているこの作品について、筆者は以前、渡邉大輔氏と杉本穂高氏との鼎談でも語らせてもらったが、その中で22巻と23巻(いわゆるマーレ篇の始まり)を境に『進撃の巨人』の物語が大きく変質しているように感じたと述べた。
作者の諌山創氏自身も、2017年に発売された公式ガイドブック『進撃の巨人 キャラクター名鑑』で、22巻のラスト(第90話「壁の向こう側」へ)エレン・イェーガーとアルミン・アルレルト、ミカサ・アッカーマンたちが海を臨むシーンで「何なら「ここで最終回でもいいんじゃないか」って」と考えていたと語っている。本稿では、何故ここが物語の大きな転換点になっているのか、諌山氏の発言などを参照しながら改めて考えてみたい。
倉田:杉本さんの話を受けて思ったんですけど、マーレ編以前の『進撃の巨人』は、ファンタジー・神話としての作品だったと思うんです。それがマーレ編になって、歴史・ドキュメンタリー要素の強い作品になった。世界の謎を解くというファンタジーだったものが、マーレ編以降、その世界の現実をどう生きるかという話になって、すごくリアリティーが増した。
(『進撃の巨人』は時代とシンクロした作品だったーー評論家3名が徹底考察【前編】より)
何をもってファンタジーと称するかは様々だと思うが、ここでは現実とは異なる規則性が世界の状態に影響している物語と考えたい。たとえば神話や民間伝承の昔話にも通じる神や悪魔、奇蹟や魔法といった超常の存在や現象が容認されている世界の物語だ。
23巻以前の『進撃の巨人』における物語の吸引力として“巨人という不可思議な存在と、それを生み出した世界の謎”の存在は大きかったと思う。それが21巻から22巻にかけてエレンの父グリシャが遺した本と写真、そして記憶を通して明かされた。すべてではないが、ファンタジーの中枢を成す世界の謎の多くが解明されてしまったのだ。同時に自分たちの敵は、巨人という化け物ではなく、その背後にいる外の世界の人間であることも。
これによって人智を超えた神話・ファンタジーから、人間同士が現実のルールに従い衝突する歴史物語・戦記へと『進撃の巨人』の世界は変質した。この変質を端的に表しているのがエレン・イェーガーの立ち位置の変化だと思う。
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