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Wednesday, April 7, 2021

【追悼】橋田壽賀子さん、連載担当者に聞いた「最期の2年間」 - auone.jp

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橋田壽賀子さん(2018年撮影)

 2018年の9月に『週刊女性』で始まった橋田壽賀子さんの連載『どうしてそうなるの!』は、当時、93歳だった大脚本家が、世の中の許せないこと・理解できないことを語るといった趣旨のエッセイだった。亡くなる直前の2021年2月まで連載を担当した編集者に聞いた、最期の日々とは──。

* * *

──連載はどのように行われていた?

 連載は、担当のライターさんとともに熱海のご自宅に伺い、お話ししていただいた内容をまとめるというかたちで作られてきました。直接の取材は新型コロナウイルスが蔓延する直前の昨年2月まで、以降は電話取材で、連載自体は今年の2月まで続いていました。

 先生のお宅に通う日々は、取材というより、まるでお茶会といったような楽しいひとときでした。録音テープを回す前、必ず出してくださったのが皿に盛られたフルーツと和菓子。取材中に『どうぞ召し上がってください』と何度も勧めてくださるので、恐縮しながらメロンをフォークでつつきながら話を聞き、ぶどうの種を吐きつつメモを取ったり。本当にこれでいいのか、と思いつつ、『たまにいらしていただくぶんには楽しいですよ』とのお言葉に甘えて取材をさせていただきました。

 毎回、帰りにお土産として煎餅(特に先生がお気に入りだったのは川崎の名菓『大師巻』)などを持っていきなさい、と勧めてくださったのもいい思い出です。

──橋田さんは90歳を超えても年に数回、クルーズ船で世界旅行に出かけるのをライフワークとされていたそう。コロナ禍になってからの暮らしぶりはどう変わった?

 朝はお手伝いさんが来ますが、午後からはひとりでお過ごしになる。“知らない人ばかり出ている今のテレビにはついていけない”と、BSでサスペンスドラマをよくご覧になられていたそうです。

 また、クルージングがなくなったことで『おしん』の再放送も全部みることができたと聞きました。ご本人がストーリーを覚えていないところもあったようで、山下真司さん演じる仁に、『あんなに金持ちで憎たらしい田中美佐子と結婚するなんて絶対許せない!』と怒りながら、いち視聴者として新鮮な気持ちで楽しまれたそうです。『あんなにあざとい話を書く当時の私は若く、合理的で腹黒い部分もあったのだな』とも振り返っていらっしゃいました。

 ご自宅のベランダからは熱海の海がみえるのですが、部屋からボーっと空と海の境を眺めている日も多かったと聞きます。この贅沢な時間について、たびたび『のん気で幸せ』と形容されていたのを覚えています。ずっと仕事に追われてきた人生だったから、何もしなくていいのは初めて、とも。

iPhoneの使い道は……

──あまり知られていない橋田先生の一面は?

 ととのった毛並みのアメリカン・ショートヘアーで、柄が左右対称でめずらしい猫を飼われていました。名前はチェリー。10年以上前に『渡る世間は鬼ばかり』の制作スタッフの方々からプレゼントされて飼い始めたそうです。

『私にあまり懐かない。触ったらひっかかれることもあるんですよ』とぼやかれていましたが、猫に声をかけるときは子どもをあやすような話しかたをされていたので、とても可愛がられているのだなと感じました。

 先生は『電話の出方すらわからない』とデジカメがわりに使っているiPhoneをお持ちで、猫のムービーを見せてもらうこともありました。あまり動かない猫の前で無言でスマホを構えている姿がとても微笑ましかったです。少し手ぶれしていて。

 そんな猫について先生は、お金を渡すから私が死んだら誰か面倒をみてくれないだろうか、と気がかりな様子でした。そんな心配をよそに、ちょうどご主人の33回忌にあたる2020年9月27日にチェリーは動物病院で息をひきとりました。愛猫を喪った先生はエッセイでも悲しかったけどホッとした。もう思い残すことはない』とお書きになっています。

老衰がきましたね

──亡くなる直前まで電話でやりとりをしていたというが、どのような話を?

 この世に何の未練もない、やりたいことは全部やった、幸せな人生だった。まっすぐな瞳でそうお話になっていました。痛いのだけは嫌です、と笑いながら。

 また、2020年10月に文化勲章を受章されたときは『人生の最期に“よくできました”のスタンプを捺してもらった気分』だとお話になっていました。

 今年の正月は人生で初めて、ひとりで年越しを迎えたらしく、日の出を写真で撮って少し眠り、昼ごろからおせちとお雑煮を召し上がったそうです。実に心穏やかな一日だったと伺いました。

 実はこの連載についても『もう世の中に怒ることは何もない』ということで、3月に終了する予定でした。テーマは『老衰と死』。安楽死を望まれていた先生ですが、『最後は老衰がきましたね』と先生のお言葉通り“のん気で幸せそうに”されていたのがとても印象に残っています。結局、お話を聞くことは叶いませんでした。

──橋田さんとの思い出で一番印象的なのは?

 取材を終えて私たちが熱海駅へと戻る送迎タクシーに乗るとき、必ず家の前まで見送りに出られることですね。車が見えなくなるまで手を振ってくださった姿が忘れられません。

 ご冥福をお祈りいたします──。

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